岩田さんに、もっと生きてほしかった。

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2015年7月11日。
任天堂社長の岩田聡氏が胆管腫瘍で逝去されました。
享年55歳。

あまりにも辛い知らせ、というのが正直な気持ちです。

僕は、「岩田さん」と呼びます。
それは、岩田さんが社員に向けて発信し、浸透させた
「肩書き関係なく、さん付けで呼び合いましょう」
という企業文化に、改めて深い敬意を示したいからです。


 

直接、はじめて岩田さんの声を聞いたのは2008年。
当時大学3年生で就活中でした。
任天堂の会社説明会で岩田さんが登壇されました。

非常にワクワクするプレゼンで、ぜひこの会社で、この人と働いてみたい、と強く思いました。
ひとめぼれです(笑)。
なんとしても、任天堂に就職しようと決意しました。

しかし1つ問題が。

一番好きなゲームハードはニンテンドーゲームキューブ(GC)で数々の任天堂ゲームも遊んできたし、ある程度ゲーマーなアイデンティティを持っていました。

そして、仕事としてゲームづくりに関わってみたいと思っていました。

が、高校時点で数学IIIと物理と化学がちんぷんかんぷんで理系から逃げた結果、文系入試で大学に入り、教育学部に在籍していました。
まずなにより、当時まったくプログラミングを学んでいませんでした。

(今考えると、目的を達成する手段を習得しないという、非常にヘンな状態だったわけですが、あの頃はそのギャップを埋める方法がよく分からなかった。大いなる反省です)

とはいえ当時はリーマンショック前で採用状況も良かったこともあり、きっとなんとかなるのではないかと楽観的に就活を続けていました。
結果、幸いにして、任天堂から内定をいただくことができました。
ただし、上述のとおり文系だった僕が出願し、採用されることになった職種は「事務系社員」。
それでも、岩田さんの会社に入れるのだという喜びに、違いはありませんでした。

翌2009年、無事に大学を卒業して、事務系新入社員として任天堂に入社。
とはいえ本社だけで1,000人を超える規模の会社で、新卒が岩田さんと話す機会などあるはずもなかったのですが。

それでも、同じ会社にいれば、多くを学ぶことができました。


 

僕が岩田さんの考え方や物の見方を一番学ばせてもらったのは、実は「テキスト」でした。
これについては主に2つのソースがありました。

1つは、任天堂公式ホームページに掲載されている「社長が訊く」というコンテンツです。
これは各ゲームタイトルの制作の裏側などを岩田さん自らがインタビュアーになって社内外の開発メンバーにインタビューするという名物企画です。
こちらは有名ですので、ゲーム業界や任天堂に関心がある方はチェックされている方も多いかと思います。

もう1つは、社内イントラネットのみに掲載されている「社長が読む」というコンテンツでした。
これは岩田さんの膨大な読書量の中から、ぜひ社員の皆にシェアしたい、考えてもらいたいという話を掲載した不定期配信のコンテンツです。

本のタイトルの列挙は避けますが、とにかくこれが面白い。
経営(者)論、ビジネス戦略、ポピュラーサイエンス、などを中心に、その本の著者が何を伝えたくて、岩田さんはそれにどう思ったか、社員の皆はどう考えるかの問いかけ、といった形で1つ1つがかなりの長文コンテンツになっています。

あれだけ日々忙しい中で、どうやってこれだけの読書時間を確保していたのか。
おそらく本当に寝る間を惜しんで本を読んでいた、ということだろうと思います。

古今東西、一流の経営者には、とにかく本を読む方々が多いというのは感じますが、さらにこれだけアウトプット、社員に考えを還元してくれる経営者は稀有かと思います。

数千人規模の会社で、かつ自身が創業したわけではない会社に、途中から参画されていたこともあると思うのですが。
接する機会が少ない若手社員や古くからいる社員とどうコミュニケーションするかというのは非常に気を遣われていたことだったのではと考えています。。
その1つの打ち手として、超忙しいながらも、岩田さんは「社長が読む」を大切なコミュニケーションスタイルとして発信されていたのだろうと考えています。

加えて僕が特に岩田さんの方法論として影響を受けたのは「プレゼンテーション」です。

プレゼンは、達成したい目的や、話し手と聞き手の状況によって、選ぶべき手段が異なるので、「1つの正解」があるわけではないと思っています。
岩田さんは、たとえばE3などのイベントにおける「世界にサプライズを与える」プレゼンと、株主総会などの場における「株主やステークホルダーに報告する」プレゼンでは大きくやり方を変えていました。

そして全社員向けにも、年数回、プレゼンを実施されていました。

僕が一番、感銘を受けたのは
「対外的なコミュニケーションと内向けな発信の間に、ブレがない」
というところでした。

外部には聞こえの良いことを言い、内部には無理や無謀を要求する経営者は、悲しいかな、後を絶ちません。
僕は、「ブラック企業」という単純な定義は存在しないと思いますが、社員を大切にしなかったり、社員に対しての適切なコミュニケーションをとる努力をしない経営者は、厳しく非難されるべきだと考えます。

そういう意味で言えば、岩田さんは、社内外に言うことに、本当に裏表がないのです。
社員こそが自社のコアバリューを作り出し、世の中を楽しくしていく企業活動の源泉であるということを心底理解し、行動されていたんだろうなと。
そう思っています。


 

2010年、僕が任天堂社員になって2年目の冬。

1度だけ、岩田さんに、直接プレゼンをする機会がありました。
自分が当時関わっていたプロジェクトに関するものでした。
上司と何度も練習と推敲を重ねて、当時としてはできる限りに努力しましたが、プレゼンのクオリティとしては低かったです。
そして僕は緊張しすぎていて、どんな風にプレゼンしていたかを正直ちょっと思い出せません。

そんなプレゼンでしたが、岩田さんは丁寧に耳を傾けて聞いてくださったことは覚えています。
そして、もっと知りたい、突っ込んで調べてほしい点について、非常に的確なコメントをしていただけました。
恥ずかしいけれど、本当に嬉しくて。
まだ未熟な自分ではあるが、もしかしたらいつか岩田さんの役に立てる日も来るかもなと思いました。

その後、そのプロジェクトは諸事情によりクローズとなり、僕が岩田さんとお話しする機会はほとんどなくなってしまったのですが。

さらに2年ほどが経ち、思うところがあって2013年、僕は転職しました。

この転職の話をすると時々、経営状況が悪化したタイミングでやめたんだね、よかったね、という意見をくださる方がいます。
確かに2011年ごろからの任天堂の業績は悪化し、赤字を出しましたが、それは僕がやめた理由とは何の関係もありません。

僕は自分でサービスの企画に関わる仕事をするキャリアに転向したいと思って、ちょうどそういう職種で採用いただいたので、転職しただけの話です。

むしろ、僕がキャリアチェンジをする勇気をもてたのは、岩田さんのキャリア論のおかげだとも思っています。
伝説のプログラマーとして、初期のファミコンゲームから、トップランナーで走り続けてきた「技術者」が、HAL研究所の経営危機において「経営者」のキャリアを歩み始めたとき。
そこから逃げても良かったんだけれど、岩田さんは逃げなかった。
社員、取引先、お客さん、あらゆる人に向き合い続けて、HAL研を建て直し、そして先代の山内社長に請われて任天堂に移ってきた。

ピンチかチャンスか分からない状況でも、飛び込むことを厭わないことでキャリアを変えていく。まさにそれが岩田さんの生き様だったと思うのです。


 

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僕は退職後、直接お目にかかることはなかったですが。
任天堂のプロダクトやサービス、そして登場される動画やインタビュー記事を通じて、やはり多くのことを学ばせてもらっていました。
むしろ、会社の外に出て、環境を変えた中でこそ、岩田さんの言葉は自分にとって、さらに大きな学びをもたらしてくれました。

最近では、4gamers掲載のドワンゴ川上会長との対談記事はもう、頷くところしかなくて。
次はどんなインタビューに出られるのかなと期待していました。

そんな矢先の訃報でした。

55歳。あまりにも早い。
岩田さんがこれからも、日本に、世界に、新しい文化を届けてくれるのを楽しみにしていました。
それが見られないことは、本当に残念でなりません。

ただ。
任天堂には、岩田さんとの繋がりの中から、持てる能力を開花させてきた社員の方々がたくさんいて、優れたチームがあります。
僕のご縁のある先輩、同期、後輩は本当に頼もしい方々が多いです。
任天堂が、これからも世の中を面白くしてくれることに、確信を持っています。

そして。
岩田さんの生き方やメッセージ、関わった数々のプロダクトに影響を受けて、何かを生み出すことに情熱を燃やす人たちが、世界中にいます。

僕も0からプログラミングを学び始めました(G’s Academyという学校に入りました)。
まだ学び出して数ヶ月で、難しさに詰まることも多く、四苦八苦の日々ですが、「生み出す」技術の面白さと、その世界の幅広さと深さに、日々感銘を受けています。
そこに関わる方々に深い敬意を持っています。


 

ビデオゲームは娯楽です。役に立ちません。
しかし作り手は、消費者からの、娯楽だからこそのシビアな要求と、「飽き」という不可避の現象に向き合い続けねばならない。
昨今のテクノロジーやメディアの激変がさらに負担として、作り手にのしかかります。

最大手ゲームメーカーのトップとして、過酷な現実の中で、夢の実現に向けて、弱みを見せずに邁進してこられた岩田さん。
この2年あまりの間は、病気で思うように行動できず、歯がゆい、悔しい思いをされたことも多かったかと思います。

それでもきっと、岩田さんは「他責」にしなかった。

岩田さんは社員に向けて「他責にしない」ことの意義をよく伝えられていました。
失敗や損失の原因を他責にすると、一時的には楽になります。
けれど、それは問題の本質から目を背けているだけで、徐々に自分も他人も蝕んでいってしまう。
自責を認めるのは辛い。辛いんだけれど、そこから成長は始まる。
チームや仲間からの信頼も、そこから生まれていく。

亡くなる最期の一瞬まで、岩田さんは内なる自分に向き合い、そして誰かを助け、笑顔になってもらうことに力を使いたいと願っておられたのではと思うのです。


 

最後に、岩田さんの登場されるコンテンツでWeb上で読めるもののいくつかにリンクを貼っておきます。

社長が訊く 任天堂
http://www.nintendo.co.jp/corporate/links/

岩田聡さんのコンテンツ ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/iwata20150711/

任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20141226033/
(ドワンゴ川上会長との対談)


 

心から、岩田さんにお会いできたことに感謝します。

ただ本当に、もっと生きていてほしかった。

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