性の多様性を讃える:人類のソフトウェアとして

標準

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https://twitter.com/WhiteHouse/status/614611810415681536

2015年6月26日。アメリカ合衆国連邦最高裁が同性婚の権利を認めました。

ホワイトハウスは虹色にライトアップされました。
またこれを祝ってFacebookでもプロフィール写真を虹色にするアプリが提供されました。

Here’s The Easy Way To Put A Rainbow Filter Over Your Facebook Picture

少しさかのぼると2014年の秋、Apple CEO ティム・クック氏は同性愛者であることを公表しました。
世界で最も価値が高い企業のトップが、自身の性的マイノリティを公表したのです。

日本はどうかというと、2015年3月の渋谷区の条例で「多様性の尊重」をうたう条例が可決されたのが一番進んでるという話で。 かつてよりも前進ではありますが。
が、アメリカのように国内すべてで結婚を認める状況にはほど遠いです。
企業のトップが性的マイノリティを公表することを歓迎するムードはあるでしょうか。
改善が必要です。


僕がなぜ性の多様性、同姓の婚姻の権利を認めるべきだと強く考えているか。

実は3年前位まで恥ずかしながら、それをほとんど考えたこともありませんでした。
僕自身、性的自覚は男性であり、女性が好きだと思っていて。同性愛や性の不一致についてはなんも理解もありませんでした

きっかけは、たまたまに、「生物の進化と人類の歴史」に興味をもって、その分野の本を大量に読み始めた事でした。
(あの頃、僕はとても暇だったのです・笑)

ひたすら読み続けた結果、自分のそれまでの「ヒトに関する常識」は大体が非科学的な思い込みだったと痛感しました。

「生物の進化も人類の歴史も必然なんてものはどこにもなく、ただひたすらに環境に左右された偶然の連鎖だ」

これを理解した時、性の多様性が、心の底から重要だと思いました。


例え話を少しだけ。

現生人類(ホモ・サピエンス)を考えます。
話を簡素にするために、仮に人類全てが10人しかいなくて、5人の生物学的な男性と5人の生物学的な女性だけだったとします。
(統計上は男性の方が少し出生率が高いのですが、10人だし5-5の同数とします)

さて100年後、1,000年後、1万年後、10万年後。この人類たちが絶滅しているか、存続しているか?

1,000年(約50世代) 程度までならば、その間ずっと運が良ければ存続コースをたどれるかもしれません。
しかし、1万年(約500世代)、10万年(約5,000世代)、これぐらいの時間/世代になるとその間ずっと運が良いなんて事は確率からしてありえません。
気候変動、天敵の存在、災害、疫病、などなど。種を絶滅させるに十分な危機は、必ず何度もやってきます。

それをどう乗り切るかの答えが「遺伝的多様性」と「集団内での個体の多様性」の組み合わせになるのだという仮説を持っています。

生物学的事実 [1] 人間の子供を産めるのは、生物学的に人間の女性だけ

ここだけをとらえて非科学的な伝統思想に走ると、性の多様性を認めないという主張を正当化しがちです。でも、これは、もう1つの重要な事実を見落としていると思うのです。

生物学的事実 [2] 女性が生涯で産める子供の数は「2」を大きく上回る

つまり上記の、世界が10人の人類しかいなかった場合に、2人の女性が生涯で5人ずつの子を産み育てれば、3人の女性は子を産まなくても、次の世代の数は、同じく10人が維持されるのです。

人類の祖先たちはアフリカの数十人の集団だったと考えられています。

今よりもはるかに疫病や天敵、集団間の戦闘の危機の「振れ幅」が大きかった時代と考えれば、このような偏った生育分布で、人類は、世代の継承を続けてきたのではないかと思うのです。

繰り返す危機に継続的に対処するには、食料調達手段の確保や、情報伝達、集団の意思決定といった
「信頼し、協力し合うソフトウェア」
を多様性に富んだ柔軟なものとしてアップデートし続けることが
「生物学再生産というハードウェア」
をどうこうするより、はるかに効果は高かったのでは、と考えます。

いやそもそもハードウェア部分は、保有する遺伝子と、偶然も含めたその発現結果のセットで決まってくるものです。
今日のような遺伝子工学の技術がない時代は、はっきり言えばどうしようもなかった。

ほとんどの生物が、そのハードウェアの進化のみで、世代を重ねてきたことに対し、現生人類は、「個体や集団の多様性を生かした柔軟で協調的なソフトウェア」を更新してきたことが、決定的な強みであると思います。
ハードウェアだけで考えれば、人間はすべての生物の中では、だいぶ弱い方に入るでしょう。

例えばLGBTなどの性的マイノリティは、その人類のソフトウェアの更新の歴史に、多大な貢献をしてきたことが間違いないと思っています。
多数派が気がつかないような情報に鋭敏に気づき、評価し、集団に共有することでソフトウェアの全体の最適性を高め、結果として集団の生存率を上げたと考えます。

そういった意味では障害についても同じだと思っていて。
なんらかの障害を持っているがゆえに気づく情報が、集団のソフトウェアに劇的な影響をもたらし、だから皆が生き延びられた。
こういった事は 一切なかったと決めつけるより、あったと考えるほうがずっと科学的だろうと思うのです。

この仮説はもしかしたら人類の歴史よりも、現代の企業経営の方がよく当てはまるし、しっくりくるかもしれません。

性的マイノリティや障害者といった人々を、仲間と認めず、多様性を排除するような企業は上述したような「組織としてのソフトウェア」が変化を取り入れたアップデートをできなくなります。
結果的に予知できなかった危機事象の発生確率が上がり、いざそれが起こると大損害と信頼の失墜がおきます。


って。そろそろこの記事を書き終えねば(笑)。

要約すると。
性の多様性を認めることは、「助け合う、支え合う」という人類共有のソフトウェアの核心にある

本記事の主題とは関係ないですが。
僕の中で、ソフトウェア/ハードウェアっていう視座で人類をとらえることは、生物学や人類史を読書で学んでいただけの時には、皆無だったと気づきました。

Webサービス含め、ソフトウェアを作る、提供するコミュニティや仕事に関わるようになり、自分でも0からプログラミングし始めるようになったことが、ここには大きく影響している気がします。

そんなわけでやたらに理詰めになってしまいましたけど。

これからもプログラミングに取り組みつつ、性や障害といったマイノリティに対する日本社会での偏見をなくすことにも何かちょっとでも貢献したいなと思います。

P.S.
ブログに使っている WordPress.com の投稿ページもレインボーに!

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